東陵中学校付近の様子です。
もう始まっていますが(2024年1月27日(土)〜2月4日(日))
全農 カーリング日本選手権で女子1次リーグの最終戦が行われ
B組で3連覇を狙う北京五輪銀メダルのロコ・ソラーレは
北海道銀行に6―5で競り勝ち、4戦全勝のB組首位で通過した。
と言うニュースがありました。この試合で優勝すれば男女とも世界選手権代表となり
女子の世界選手権は3月16日からカナダ・ノバスコシアで開催されるとの事。
ここは何としても、世界のロコ・ソラーレとして優勝してほしいです。
しかし、この4試合とも中々接戦で、1点差とか2点差とか結構苦労しています。
中々楽に勝たせてはくれませんね。
ひとつ皆さんの熱い応援をお願いします。 m(_ _)m
2024年01月31日
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「運動会」(2007年06月03日)の記事では、現在の東陵中の様子、昭和35年当時の東陵中のお写真では教会風の塔のある体育館が写っています。
仁頃街道沿いの2本の柏の木もちゃんと残っています!
中央分離帯を利用するとはさすがです!
昔から東4号線(青葉通り)とは接続されていましたが、こんなに広くなるとは!
ところで「入馬川」たという川があります。
源流は、療養所のあった辺りで、その付近はいくつか沢があり、合流して西3号線をくぐり(今の「もみじ大橋」付近)、北中のグラウンド脇から美山公園に流れ込み(池がありました)、美山町南部を通り、学園通りの下をくぐり(今は橋がかかっています。まるで滑走路、ユーミンの中央フリーウェイにでてきますね)、三楽町を縦断し、大正時代はじめには三楽園という私設の池とあずまやがある施設(夕陽ヶ丘通りが三楽町を横断するところが「三楽園橋」、下は公園)があったそうです。そして東4丁目通りを南下して鉄南地区へ流れて、柏陽付近から来る川と合流して桜町、泉町と清月町の堺、南町を経て常呂川へと。
「昔の北見シリーズ」(2009年02月02日)の記事では、この「入馬川」氾濫の様子を窺うことが出来ます。ホリカン川、小町川とともに、北見の歴史は治水工事、橋梁工事等の歴史であった訳ですね。
giogio様
北見はあちらこちらで変わっていき、気が付いたら大きく様変わりと言う感じですね。
北見では珍しい川の氾濫と言うのもあったんですね。
詳しい解説がとても分かりやすく、北見の皮に関しても勉強になります。
河川の氾濫に関しては、昭和41年の入馬川、ホリカン川、小町川の氾濫の他、明治31年の常呂川の氾濫があります。
屯田兵が入植して間もない明治31年、端野1区中央を流れる常呂川が氾濫し、壊滅的な被害を出しました。
低地での水稲栽培を諦め、高台での畑作に頼る他ありません。
この窮地を救ったのが、「ハッカ」だったそうです。北見でのハッカ栽培は北光社が先だ、という説もありますが…
とにかく、屯田兵入植の初期から端野1区ではハッカ栽培が始まり、それが周辺に広まり、15年後の大正元年頃には池北線が開通し駅が出来ています。
災い転じて福となすとはこのことですね!
ロコ・ソラーレも頑張れ!
giogio様
結構北見の川も過去氾濫しているんですね。北見の歴史もいろんなことが起きて成り立っているというのが良く分かります。
ロコ・ソラーレ今回は本当に残念です。でも勝負ですから、負ける時もありますね。今後も続きますので、応援していきたいです。
タイトルが「東陵中学校付近」なので、話を戻しますと、
「運動公園通りから」(2019年12月13日)の記事では、運動公園通りを東方向に進むお写真があります。坂を下ったところに橋があるのが解ります。この下を流れるのが「小石川」で野付牛公園の池の上流になります。
昔はこの辺りは田んぼで、「氷池」と呼ばれる池もありました。今は宅地化されましたが…
この源流は、なんと仁頃街道の大和にある廃棄物処理場近く、上仁頃に至るT字路付近になります。
そこから仁頃街道東側を市内方向に流れて、平成高架橋くぐり、昭和橋というバス停付近に「昭和橋」という橋がありますが、その下をくぐり、美山北部に至ります。この辺りは湿地で、エゾサンショウウオの生息地でした。
「たまには郊外」(2009年02月21日)の記事のお写真を見ると、廃棄物処理場近くから流れて来るわけですから、長い長い。
それにしても、道路、橋梁、トンネルなど、見ないうちにあちこち出来て、まさに21世紀の北見でビックリです!